田辺一鶴

「ヒゲの一鶴」として親しまれた講談師の田辺一鶴さん。2009年に80歳で亡くなられました。大ベテランの講談師でありながら、時事的なニュースや話題の人物を素早く取り入れたユニークな新作を数多く作っていたことでも有名でした。特に、「野茂英雄物語」「イチロー物語」「高橋尚子物語」のスポーツ講談や「田中角栄伝」「貴花田と宮沢りえ」「古賀政男物語」などが有名です。また、講談界で初めて女性の弟子を持ち、数多くの女性講談師を育て、初の外国人講談師もデビューさせるなど、新しい取り組みにも尽力されました。こんな田辺一鶴さんも吃音に悩まされた方の一人でした。

田辺一鶴さんプロフィール

  • 1929年生:東京都出身
  • 1954年:12代目田辺南鶴に弟子入り
  • 1964年:全てのオリンピック参加国名を読み上げる「東京オリンピック」が大ヒット
  • 1973年:真打ち昇進
  • 2001年:ロサンゼルスにて口演した「イチロー物語」は高い評価を受け、以後4年連続で渡米
  • 2009年:肺炎のため80歳にて逝去

田辺一鶴さんと吃音

田辺一鶴さんは、かなり重度の吃音者だったと語っています。小学校5年生の時、どもり矯正教室が開かれ、田辺さんも参加したそうですが、組み分けした際に一番重い組に入れられてしまったそうです。その後もいろいろな矯正方法を試してみたそうですが、一向に改善しなかったようです。
ある時、後の師匠になる田辺南鶴さんが講談学校を開いていると知り参加します。そして、講談師になるために弟子入りすることになりました。当初は吃音を治すために講談師の世界に入ったものの、いつしか講談の魅力に取りつかれていったそうです。
しかし、努力とは裏腹に後輩にどんどん先を越され、師匠には肩をたたかれたこともありました。それでも講談の魅力に取りつかれた田辺さんは師匠に懇願し、何とか続けさせてもらっていたそうです。
そして、講談に新風を吹き込もうと作った新作「東京オリンピック」が大ヒット。国民的な人気者になっていきます。それからも、時事ネタを素早く取り入れた新ネタを数多く作り出し、それらも高く評価されました。
また、女性や外国人を弟子に取り、初めてデビューさせるなど、さまざまな新しい取り組みを行ってきました。
後にご本人は、

吃音者である私は、「攻めて、攻めて攻めまくる」しか自分を活かせる道はないと思います。攻めの姿勢を身につけさせてくれたどもりに、私はいまでは心から感謝しているのです。周囲からは白い目で見られ、直接に反対を受け、また自分の不甲斐なさを思い知らされながら、新作講談に賭けることが出来たのも、私が吃音者であったからこそではないかと思っているのです。

と語っています。吃音というハンディキャップをばねにして人一倍努力したからこそ成功があったと言えるのでしょう。

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