現在フリーアナウンサーとして活躍し、「とくダネ!」の司会でフジテレビの朝の顔としてもお馴染みの小倉智昭さん。今では想像もつきませんが、幼少期から吃音症に悩まされていたそうです。小倉さんの吃音に関しての歴史やどのように克服したかをまとめてみました。

小倉智昭プロフィール

  • 1947年生:秋田県秋田市出身
  • 1971年:獨協大学卒業。東京12チャンネル(現テレビ東京)にアナウンサーとして入社
  • 1976年:フリーアナウンサーに転身。「世界まるごとHOWマッチ」(TBS)の独特のナレーションで注目される。
  • 1999年:「とくダネ!」(フジテレビ)の司会をスタート
  • 2016年:「とくダネ!」の放送回数が同一司会者による全国ネット情報番組としての最多放送回数を達成

小倉智昭さんと吃音

小学生時代に秋田から東京に引っ越してきた小倉さん。吃音があったため、「どもきん」というあだ名が付けられたそうです。その上、秋田訛りがあったため、学校ではばかにされていたという事です。吃音に対してまだ理解がなかったこの時代、学芸会では吃音があったためか、せりふのない木の役だったそうでした。
しかし、大学卒業後に選んだ進路はあえてアナウンサー。フジテレビには不合格になったものの、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)に見事合格します。入社試験での面接では「吃音症を克服したくてしゃべる職業に就こうと応募したと話しました。」と言い、びっくりされたそうです。
アナウンサーになってからも吃音症を克服するために独自の努力を行いました。カ行が苦手だった小倉さんですが、当時担当していた競馬の実況では、カ行で始まる馬名が多く、馬名の前に装飾語を付けてごまかしていたそうですが、逆にこれが名実況として評価されるようになりました。その後フリーアナウンサーに転身し、現在でも大活躍されています。
小倉智昭さんが吃音を克服できたのは2つのポイントがあると思います。
1つ目は小倉さんが尊敬しているお父さんの言葉。お父さんは、「夢は持つな。夢は夢で終わる。そのかわり目標を持ちなさい。手が届く目標を立てて、それができたら、また次の目標を立てるんだよ」と教えていたそうです。この言葉があったからこそ、吃音があるにもかかわらずアナウンサーを志したのでしょう。
2つ目は、お姉さんの夫である義兄の言葉。義兄は幼いころの事故で左目を失明していたにもかかわらず、カメラマンとして活躍していました。アナウンサーを志した際、「片方が見えればカメラマンはできる。智昭だってダメなことはない。大丈夫だよ」と励ましてくれたそうです。ハンディキャップを抱えながら活躍している人が身近にいたからこそ勇気づけられたのでしょう。

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