井上ひさし

日本を代表する小説家であり、脚本や作詞などでも知られている井上ひさしさん。井上さんも吃音に悩まされていた方の一人ですが、井上さんの壮絶な過去を振り返る納得できる面があります。井上さんの経歴などとともに振り返ってみたいと思います。

井上ひさしさんプロフィール

  • 1934年生:山形県出身
  • 1953年:上智大学文学部ドイツ文学科入学。在学中に浅草のストリップ劇場フランス座の台本を書きはじめる
  • 1964年:NHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本を執筆(共作)。
  • 1970年:長編書き下ろし「ブンとフン」で小説家デビュー
  • 1970年:「ムーミンのテーマ」で第12回日本レコード大賞童謡賞受賞
  • 1972年:「手鎖心中」で直木賞受賞
  • 1984年:こまつ座を旗揚げ
  • 1987年:蔵書を生まれ故郷の川西町に寄贈して図書館「遅筆堂文庫」を開館。
  • 2010年:75歳で死去。

井上ひさしと吃音

井上さんと吃音の関係は、幼少期の生い立ちにあると思われます。井上さんはこれでもかと思うほど壮絶な環境で育ってきました。井上さんさんは、山形県で薬屋を営む両親の元に生まれますが、両親が籍を入れなかったため婚外子として生まれます。5歳のときに父親が死去。母親が薬屋を切り盛りしながら闇米の販売や美容院経営などで一家を支えます。しかし、母は旅回りの芸人と同居を始めます。この義父に虐待を受け、吃音や円形脱毛症になってしまったそうです。その義父はお金を持ち逃げして逃げてしまったそうです。母はその義父の居場所を突き止め岩手県まで追いかけていきます。義父は土木関係の会社を経営していましたが、その義父を追い出して自らが社長になりますが、経営がうまくいかず会社は解散します。
そして、生活苦のために井上さんは修道院に預けられてしまいます。しかし、この修道院でも体罰やいじめが蔓延していたと後に語っています。その後、大学を受験しますが、志望校は不合格になり、合格した大学にも授業料が払えず断念。上智大学に入学しますが、こちらでも生活苦のため二年で休学することになります。
このような壮絶な環境が吃音の大きな要因になったと思われます。吃音だけでなく、井上さんはDVでも有名で、執筆活動で息詰まると奥さんに暴力を振るっていたそうで、それは日常的に行われていたようでした。締め切りが近づくに連れ奥さんへの暴力がエスカレートしていたそうです。
後に離婚しますが、当時の様子を奥さんは「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、全身打撲。顔はぶよぶよのゴムまりのよう。耳と鼻から血が吹き出て…」と語っています。
幼少期に背負ったストレスで吃音を発症した例という事とともに、小さい頃に暴力を受けると自分も暴力を振るうようになって連鎖してしまうということも考えさせられてしまいます。

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