三遊亭円歌

新作落語の名人として長年活躍された三遊亭円歌さん。残念ながら2017年に88歳で亡くなられました。多くの弟子を育てた上、落語協会の会長も務められ、勲四等旭日小綬章も授与されている落語界の第一人者でした。円歌さんは吃音を治すするために落語の世界に入り、吃音を克服するだけでなく落語でも頂点を極めた方です。そこで、円歌さんと吃音に関する情報をまとめてみましょう。

三遊亭円歌さんのプロフィール

  • 1929年生:東京都墨田区出身
  • 岩倉鉄道学校(現岩倉高等学校)卒業後、運輸通信省東京鉄道局(当時の国鉄)に入局
  • 1945年:東京鉄道局を退職し、2代目円歌に入門、前座名は歌治
  • 1948年:二つ目に昇進し、2代目三遊亭歌奴に改名
  • 1958年:真打に昇進
  • 1970年:3代目円歌を襲名
  • 1996年:落語協会会長就任
  • 2002年:勲四等旭日小綬章
  • 2017年:結腸がんによる腸閉塞のため88歳にて逝去

三遊亭円歌と吃音

円歌さんと吃音には、ある意味不思議な運命があり、それを自らの落語やインタビューの中でも語っています。
まず、円歌さんが吃音になったきっかけですが、近所の幼馴染の吃音のまねをしているうちに自らも吃音になってしまったそうです。その幼馴染が、後に日本を代表する司会者でアナウンサーの小川宏さんだったそうです。その後、受験では志望校の府立七中(現隅田川高校)を学科試験で通過するものの、面接で吃音があったために不合格になってしまい、岩倉鉄道(現岩倉高校)へ入学します。当時、これは大学進学の道が閉ざされたに等しいことでした。卒業後、国鉄に入り、駅員として働きますが、戦時中である当時、同じく吃音のある軍人の対応をしている際にどもってしまい、からかっていると勘違いされてあわや軍刀で切り付けられる危機に見舞われてしまいます。
吃音を克服しようと決心し、国鉄を退職して落語の世界に入ることを決心した円歌さんは、先代の2代目円歌さんに弟子入りします。しかし、その師匠も偶然吃音者だったのです。稽古ではどもるたびに師匠に豆を力一杯投げつけられ、「投げられたくなかったらどもるな」と言われていましたが、その師匠も吃音者であるため、最後は涙を流しながら豆を投げていたそうです。このような経験をしながら、努力の末に落語会を代表するほどの地位を確立されました。
円歌さんの落語の特徴の1つに、登場人物の中に吃音者が頻繁に登場するという点があります。自身の創作落語「授業中」「浪曲社長」「月給日」などに吃音者が登場してきますが、それは彼自身もまた吃音者であったからでしょう。また、「中沢家の人々」の中では、幼馴染の小川宏さんのまねをしていて自分も吃音になってしまった話も出てきます。

壮絶な稽古で吃音を克服したというのは当然ですが、吃音をネタにすることで、ある意味吃音をカミングアウトしたのかもしれません。吃音者であることを自ら公にした最初の有名人といえるかもしれません。さらに、それをねたにすることで、吃音に対する理解に貢献されたとも言えるでしょう。

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